はじめに

先日、訪問介護事業所のヘルパー訪問を受けた利用者が新型コロナウィルスに感染し、その後死亡したことから、亡くなった利用者の遺族から訴訟が起こされました。ヘルパーが訪問していなければ利用者は感染することはなかったとの認識から、介護事業所の安全対策が不十分だったとして4,400万円の損害賠償請求を求めました。10月2日金曜日配信の時事通信社のニュースによると、「そのヘルパーは味覚や嗅覚の異常があったが、翌日は症状が改善したため仕事を継続した。」とあります。

その後、この訴訟はお悔やみを表してくれたとのことで和解に至っています。同業者として和解で良かったねと思う反面、私たちの介護事業所は誰しも感染のリスクにさらされていることから、このニュースを聞いて他人ごとではないと感じた経営者は決して少なくないはずです。

日々の行動を思い返す

コロナウィルスの感染予防策として、出勤時や帰宅時に手指の消毒やうがいが効果的と言われています。また、検温によって初期症状の把握に努めるように日々努力されていると思います。さて、これらの予防策について、実際にスタッフがどこまで真面目に実施しているかご存知でしょうか。例えば、訪問介護サービスは登録型ヘルパーが多く、直行直帰となってしまうので、サービス提供責任者といえどもヘルパーの予防策の状況の把握には限界があります。また、通所型サービスや入所系サービスであっても、管理者がスタッフ全員の予防策の実施状況を把握することは困難です。やってくれているだろうと信じることしかできません。

しかし、人間は時間の経過とともに慣れや油断を生じさせる生き物です。ニュースで新規コロナウィルス感染者の増加が鈍化していると知れば、そろそろ大丈夫かと思ってしまうのは人間の性です。徐々に手洗いの時間が短くなったり、うがいの頻度が減ったりと徹底されなくなることも考えられます。また、手洗い等を実施したとしてもその証明ができなければ「やった、やっていない」の水掛け論となってしまいます。

予防策の実施を記録しよう

冒頭に書いた裁判の件ですが、もし実際に裁判が開かれた場合、どのような判決になったのか想像してみたいと思います。おそらく、介護事業所がコロナ予防策や安全対策を徹底していたかどうかで、結果が180°変わってくると考えられます。まず、誰でもコロナウィルスに罹る可能性があることから、コロナに感染したことは責められません。論点は「普段から手指消毒やうがいの予防策を講じていたか」、「初期症状を発見するために体温や体調のチェックをしていたかどうか」、「それらを明らかにできるどうか」が重要になると考えられます。裁判は証拠がすべてです。せっかくの予防策も記録として残っていないようでしたら証拠としての能力が低下してしまいます。

私は最近、クライアントとの打ち合わせの際に、かならずこの裁判の話をして、コロナ対策の実施状況について確認しています。ご利用者のバイタルチェックの際に、体温は記録をされていますが、手洗い(手指のアルコール消毒)やうがいについては記録として残っていなケースが多いようです。例えば、バイタルを紙でチェックして管理されている場合は、罫線を追加してチェック項目として手洗い(アルコール消毒)やうがいの欄を増やせばその場で記録に残すことができます。今日から取り組める内容です。

スタッフについても同様に記録することで事業所の安全管理が実施できます。利用者のバイタルチェック同様に紙に手洗い、うがい、体温の欄を作って、実施したら〇印や体温を記載します。さらにスタッフについてはもう少し項目を増やします。味覚や嗅覚の異常、倦怠感等の有無を書くようにしておきます。味覚や嗅覚の異常、倦怠感等を記載させるねらいはスタッフに1度自分自身の体調を思い出させる動機付けです。体調については自己申告になります。異常の「なし」を書く時に一瞬でもためらいや迷いがあれば管理者や事業所の医師・看護師への相談につながり、場合によっては家に帰らせる対応にもつながります。

事務所にいない直行直帰型ヘルパーについて

直行直帰型のヘルパーについては、本人の意識の高さに委ねる部分が大きいですが、自己管理については事業所と同等の管理をさせる必要があります。自宅にいるとついつい予防策の実施は忘れやすいものです。仕事がない日まで検温をお願いした場合、そこまでやらないといけないのかと反発があるかもしれません。しかし、体温は継続して測ることで初めて異常が見つけられます。いざという時に自分自身で記入してきた予防策の実施記録が助けてくれるかもしれません。

訪問介護のヘルパーはただでさえ人材不足の状況にあるので、ヘルパーに対して強くお願いをすると辞められてしまうことも考えられます。そこで、今回のニュースを題材にした研修を実施して、うちの事業所からコロナ感染者は一人も出したくはない、しかし、万が一のことを想定して一緒に取り組みましょうというスタンスで臨んでみてはいかがでしょうか。予防策の実施と記録は転ばぬ先の杖であり、このままコロナ感染者が出ず、トラブルが起きなければそれはそれで予防策や記録は自己満足となってしまいますが、その時は何もなくて良かったねと心から笑い飛ばしてしまいましょう。

藤尾智之氏
税理士・介護福祉経営士

1996年、法政大学経済学部卒業
2000年、社会福祉法人に入職後、特別養護老人ホームの事務長として従事する。
2011年に税理士試験に合格し、大手税理士法人を経て藤尾真理子税理士事務所に入所。介護、障害を中心とした社会福祉事業に特化した経営サポートを展開する一方、社会福祉法人の理事や監事、相談役を務める。
著書に「税理士のための介護事業所の会計・税務・経営サポート」(第一法規)がある。
さすがや税理士法人URL: https://fujio-atf.jp/